2016年御翼10月号その4

                                         

退任後、本領を発揮したジミー・カーター元大統領 

 以下は、第39代大統領ジミー・カーター氏(在任期間:1977~81年、米国海軍兵学校1943年入校-1946年卒、2002年ノーベル平和賞受賞)の言葉である。

 海軍と信仰について。「海軍での任務は敬虔な信仰と最も近い関係にあると思う。任務の遂行にあたり、私たちは、服従、知識、闘争心、信頼性、忠誠心、自発性、自制心、活気、勇気、公平さ、自信、名誉心、明朗さを発揮することを期待されたのである。しかし何よりも重要な基準は真理―― 絶対の真理―― であり、…いかなる形であれ虚偽と不正直は、米国海軍兵学校から直ちに放逐される正当な理由であった」と。(ヨハネ14・6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。」)
 「我が国は、その機会があった時でさえ平和を選択しなかった。過去数年間、アメリカ合衆国は何かと戦争に関与してきた。これらのどのケースにおいても、私たちは、紛争の平和的解決のための機会を論じ尽くさなかったのである。アメリカ人は自国の軍事的達成を誇りにしている。勇敢なる若い男女が戦場に赴くと、一般大衆には、大統領が悩める文民行政官から力強い軍最高司令官へと変身したように見える。そして彼の人気は一挙に高まるのである」(人質解放の時の慎重な姿勢が、国民の支持率低下を招き、次期再選に際して鷹派のレーガン候補に惨敗したとき)。
 「政府がなしうることは、自由と平等と正義を高める社会を打ち立てようと努力することである。もっと深い宗教的な価値―― たとえば贖罪、赦し、愛など―― は政府が達成しうる域を越えている。政府が限界にぶつかる時、イエス・キリストの教えや他宗教の預言者たちの教えが優勢とならねばならない。私たちには政府を越えるはるかに偉大な可能性がある。それは、心を一つにすること、困窮している人のところに直接赴くこと、そして自己犠牲的な愛、つまり愛されそうもない人への愛を実践し、そのことを通して自らの人生を広げていることである。」
ジミー・カーター『信じること働くこと ジミー・カーター自伝』(新教出版社)
Jimmy Carter, Living Faith (New York: Random House, Inc., 1996)

 カーター氏は米国アナポリス海軍兵学校を卒業後、原子力潜水艦の乗組員となる。父親が他界したので、家業のピーナッツ農場を継ぐため海軍を退役、その後、州知事から大統領になった。兵学校時代から教会学校で聖書を教えていたカーター氏は、大統領になってからも礼拝に出席し、年に数回は大人の聖書研究会を担当していた。現在もジョージア州の教会の役員を務め、毎週聖書を教えている。
 カーター氏の在任中、米国経済は極度のインフレで、軍の使用については慎重な姿勢を貫いたため、強いイメージを好む国民の支持率が低下、1980年の再選に際して鷹派のレーガン候補に惨敗した。大統領再選に敗れたカーター氏と夫人は、新しい事業に乗り出す。それは、大統領図書館を公的記録のための単なる倉庫ではなく、国際的な平和維持組織、カーター・センターにするというものである(退任した大統領は、政権時代の資料を政府に提供し、それを収蔵する図書館が建てられることが法で定められている)。当時、カーター政権が中東平和のために着手したパレスチナ、ヨルダン、シリアとの交渉継続努力がレーガン政権によって大部分中断されていた。そのことにいら立ったカーター氏は、世界の各地で起きている紛争を解決するために、政府の許可を得て、民間レベルで独裁者や侵略戦争の責任者などと交渉する道を作ったのだ。その一つの成果が、1994年の北朝鮮との戦争の回避であった。
 1944年、北朝鮮は核兵器が開発できる濃縮ウランを製造し始めた。北朝鮮が国際原子力機関の査察団を追放した時、米、中は北朝鮮への制裁を考えた。当時、制裁が始まれば北朝鮮は戦争を起こすと噂された。その時ジミー・カーターは北朝鮮への経済援助を約束し、相手をなだめることで戦争を回避したと、一般では思われている。実際は、カーター元大統領は、夫人と共に韓国経由で北朝鮮に行き、金 日成(キム・イルソン)主席と会談すると、金主席の方から戦争を招くような問題は解決したいと言ってきたという。金主席は、朝鮮戦争を引き起こした共産主義の独裁者であり、北朝鮮を世界から孤立させた張本人であるが、カーター元大統領を歓迎し、核燃料開発の中止を約束し、米国とは仲良くしたいと言った。その理由は、彼がかつて日本軍の捕虜となっていた時、米国人宣教師が彼を救い出してくれたからだという。彼は、朝鮮戦争で命を落として北朝鮮に埋められている米兵たちの遺骨を米国に送り返すことを約束し、核査察団を再び受け入れ、当時の韓国大統領、金 泳三(キム・ヨンサム)を招き、初めて南北の会合を実現させると約束した。残念ながらその一ヶ月後、金主席は亡くなり、その約束の全ては実現していない。しかし、直面していた戦争への危機は回避することができた。カーター氏は、イラク戦争を侵略だと、ブッシュ政権に反対している。そんなカーター氏のことを、金主席は最も信頼していた。その金主席の心を開いたのは、自分を日本軍から解放してくれた宣教師たちの愛だった。
 一般の人は、社会活動と宗教とは分離すべきだと言うが、カーター氏は、21世紀になって信仰と政治問題を分離することは、ますます困難になっていると言っている。宗教と政治、そして私的な事柄が複雑に絡み合った問題に直面することが増えているからだ。正しい信仰をもって、世界で活躍することがいよいよ大切になっている。

 

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